2009年12月02日

「事業仕分け」という名の茶番の幕が下り・・

昨日の記事でもふれた「事業仕分け」。まあ新語・流行語大賞もたいがい茶番だけど、こちらの方が許されざる茶番と言える。

国の行う事業とその予算について「官僚主導でない」議員や外部による見直しを標榜するこの制度。事業の必要性を訴える各省庁の担当者、責任者の方々を前に、バッサバッサとくだらない不躾で無知な質問を投げかける仕分け人の面々。言いたい放題、やりたい放題の1時間が経つと、したり顔で廃止や見直しを宣告。予定調和の一件落着。これでは定時に印籠や桜吹雪を見せてお決まりのセリフで終わる時代劇と変わらない。いや「茶番劇」である。

蓮舫とか枝野とかいうセンセイ。福祉や教育、農業などの分野を叩いていたが、あまりに目を覆いたくなる物言いではないだろうか。挙げ句の果てに「科学技術で1番にならなくてもいい」「オリンピックは出ることに意義がある」。アンタらノーベル賞受賞の野依氏や水泳の北島選手の目の前で言って見やがれ!!ですよ。

何が問題って、資源のない日本での科学技術の重要性や、教育・スポーツ等長期的な育成が必要な分野をあまりに蔑ろにしている点。ある程度のお金を掛けてきたからこその技術立国であり、世界に羽ばたく人材を各分野で輩出してきたワケで。「1番になる」努力があるから仮に2番であっても世界レベルの成果が出せる。「オリンピックでメダルを取る」努力があるから、日本のスポーツ界が発展する。むしろ大学教育や基礎科学、スポーツや文化の予算は先進国の中では最低レベルで、拡充すべきと思うのだが。
仮に仕分けによって予算を確保したとして、じゃあ一体どんな国を目指しているのか?仕分け人のセンセイ達はどういう基準で見直しを決めているのか? まったく見えてこない。


一方、予算の無駄を洗い出し、国民の政治への注目wを集める端緒となるという意見はしごくもっともに聞こえる。先例となった自治体でも、外部の専門家や一般の人、学者やらの意見で見直しが決まる例もあるという。ムダがなくなり大いに結構。

しかし現実には「仕分け」には何ら拘束力はなく、必ずしも予算編成には反映されない。鳩山首相は「仕分けの結果を尊重する」と言ってるが、どうなるか分からない。そもそもこの人ウソつきですから。(でなければ故人献金はどう説明する?)
そもそも「仕分け」の俎上に上った事業、これ自体が財務省主導で選ばれたもの。さらに「仕分け人」には官僚からの手引書が配られていたという。政治主導とか言ってたけど、これもインチキではないのか?

こんな感じで、とても拍手を送る気にはなれない「事業仕分け」。とは言えパフォーマンスの時間はもう終わり。これから問われるのは中身であり、そして問うのは私たち一人一人ってこと。それを忘れちゃいけない。












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